YNU Racing Ski Team

横浜国立大学体育会スキー部のブログです。

2019年卒業 山田剛久(未完)(後で編集)

人気ブロガー,ヤマタケです。

この度,4年間お世話になったスキー部を卒業します。

いざ卒業ブログを書こうと思い立ったが,
普段のふざけたブログと違い,真面目なブログは如何せん恥ずかしいと共に
なかなか進まない筆によって,投稿が遅れました。

さて,何を書こうか?
同期を急かしたが,誰も書いてくれない上に
参考にはならないし,多分自分より遅いと言うことは,さぞ面白いブログなのだと期待してます。
自分は長いため,一番最初に投稿するのは遠慮していたが,それは杞憂で皆超大作故に遅れているのでしょうね〜
遅い人ほどハードルは上がりますから!!是非,楽しみに待ちたいものだ。

などなどと書いてみたが,駄目だ
何も思いつかね〜〜〜〜

先日の追いコンでは,前ブチョーことたごっちに「まぁ〜,ヤマタケさんは卒業ブログ15000字くらいですかね〜」って言われた気がするが,それどこの論文って思うばかりだ。
今読んでる論文すら12000ぐらいなのに,ちょっとキツイな〜と思いながら,今の字数約500
これはヤバイ!!!!

しかし,期待されたら答えるしかない
つまりは15000字書きたいと思う!(伝説の船津啓卒業ブログは約13000字)

よって,時間ある時に読んでください。



なんか1人毎に箇条書きでコメント書くのは,読みやすいため読まれた時に恥ずかしいので,テキトーに話で出てきた時に,話を区切ってコメントしたいかなと思います。なので,滅茶苦茶読みづらいし誤字脱字があるかもしれませんが悪しからず

4/1に投稿して,3日以内に完成させます。と言って,1ヶ月を経ちましが,本当に3日以内に完成すると思ったあなた,残念です。
4/1はエイプリルフールという事で,3日以内は嘘です
期待したあなたはすいません。そして,令和最初の投稿にしてみようと思い,5/1に投稿しました。
まぁ〜,知らせは出さないので気付く人は少ないと思いますが‥‥‥


・まずは,自分のスキー経験について
自分のスキーとの出会いは,家族とのスキー(いわゆるファミリースキー)です。
母がもともと,なんかのスキーの大会(詳しくは覚えてない)で賞を獲るほど上手く,
好きなために幼少の頃からよく家族で行ってました。
しかし,これも年に1,2回日帰りで行くもので,また専門的なコーチがついて教えてもらったものではなく,
ただ単純に楽しむものだったり,日帰りで滑っていたため,実力としては取り敢えず滑れる程度のものでした。
また,自分が高校生になる頃には兄は大学,姉も実家にはいないために,家族でスキーに行く機会は減りました。
更には,大学受験や浪人を経験したことでスキーの機会はなくなっていました。


・そんな自分がなぜスキー部に入部したか
それは横国に入学した時,まず新入生としてタダで参加出来る新歓を思う存分楽しもうと思いました。
そして,入学式で受け取ったビラから興味あるところは,全部行こうと思っていたが
いざ,新歓期になると入学式後にすぐにやる,電情だけでやる電情合宿なるものに参加したら,
そこで行われたBBQで食中毒になりました。また,友達作りがほぼ目的であるはずの電情合宿では友達も出来ないし(まぁ〜,その後も学科の友達は出来なかったんですけどね〜)

つまりは自分の新歓スタートは失敗しました。友達は出来ないし,新歓1週間は腹痛で死んでたし,何もいいことはありませんでした。(入学式前に転んだ先に,太い釘がありそこに思いっきり手の平を刺してしまうなど・・・・)
そんな時に新歓期後半でもやってる新歓イベントはないかな〜とビラを探してみたが,結構なサークルが終わってたり,または興味ないサークルだったりしました。この感じだと,その時偶然見たスキー部のビラを見て,連絡したように思わせますが,そんなことはありません。当時のスキー部はビラ詰めには間に合わず,学科交では配っていたが自分は行ってないため,ビラは一切持ってませんでした。また,看板もあったらしいが正門にあったため,西門勢の自分には無縁でした。そんな自分がなぜスキー部に出会ったか?

まぁ〜それはスキーサークルがなかったからです。まず,入学式のビラ詰めを確認した時にウィンタースポーツのサークルが無く,ネットで調べてみても,有ってもスノボサークルだったりとスキーを経験してる自分としてはスキーをやりたいと思っていたため,取り敢えず「横国 スキー」で検索して出たのが,この横国体育会スキー部でした。部活は正直面倒臭いと思い避けていたが,取り敢えず新歓の内容だけでも確認しようとホームページで新歓ページを見ました。
そこを見ると「新歓スキー」の文字
この時期にスキー!!!!最近全然行ってなかったし,まだ予定は先で無料で道具なしでも参加出来る
これは神か!と思い参加するしかないと思い連絡しました

すると平島さんから連絡があり,一度会うことになりました。
それがスキー部員との初の出会いでしたが,学生センターに来た平島さんは,まず服装はキャメルのウィンドブレーカーになんかスキー道具を持っており,色々要素が暴走してました。
正直,部活はもっと固いイメージがあったので当時は面を食らいました。そこではアルペンについてや費用,道具など色々教えてもらい,なんとなくではあるが,スキー部のイメージできた気がします。そしてここでの平島さんの新歓の姿勢が,自分が新歓担当時のベースになっていた気がします。
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平島さん
正直ヤベーやつっていうイメージです。酒ヤベー,スキーヤベー,就活ヤベー,仕事ヤベーなどある意味すごい人でした。何事にでも全力で,遊びや仕事に全てのことに真摯に向かい,スキー場で最後まで滑る努力する姿は尊敬してましたし,その切り替えの早さは自分も出来るようになりたいと目標でもありました。一年の頃は少し苦手でしたが,年々平島さんの見えない仕事ぶりや努力を知ってから,見えるところでしか人を判断してたなかった自分が恥ずかしかったです。これからも,ヤベー人でいてください
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もちろん,ただの説明だけでは分からないので新歓スキーに参加しました。
当時は朝早く横浜駅に行くのですが,これも辛かった。単純に眠いのとよく分からない横浜に,原付をどこに駐めていいか分からずあたふたし時間ギリギリになってしまい。部活的にヤバイかと思ったが,気にしてない様子,正直安堵しました。ただ集合場所では,新歓に来た平島さんがいるかと思っていたがそこにはいませんでした。まさかの欠席!!
正直自分は誰と話せばいいか不安でしたが,ここで出るのが当時ブチョー事,船津パイセンです
気楽に話し掛けるくれる姿は,ある意味先輩としての自分の理想の姿でした。正直自分は後輩たちには,そのように接することが出来たか分からないが,手本であったのは事実です。

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船津さん(呼称:ふなピー,別名:小島よしお)
前,卒業ブログで自分の事を弟というか子供を見てるみたいとあったが,確かに同い年という事もあり,先輩よりは兄また同級生って感じですね(まぁ〜兄とはそんなに仲良くないんですけどねw)正直,船津さんには後輩あるまじき失礼を数多く行ってしまったが,それを受け入れてくれる故に,甘えてたように思えます。そして,それを受け入れて,いつも無理な誘いなども忙しい中来て下さり本当に感謝してます。ただ感謝を表明するのは,この場だけにしたいと思います(恥ずかしいので)。また,ボドゲでも誘うと思うので,忙しくても来て下さい!!!!!来いよ
ps
船津さんが部長だから,入部を決めたと思います。楽しい部活,スキーには真剣にそれ以外はサークルっぽい部活に魅力を感じてました。
上下関係もある意味緩く,関わりやすい故に,自分みたいなイレギュラーでも溶け込めたと思います。スキー部と自分とのきかっけになって頂き本当に感謝してます。ボドゲ来いよ
ただ,全国公は許しません,何か責任をとって欲しいと常々思ってます。これに比べたら,カードのスリーブ入れなんて,可愛いもんだと思います。なので,何処かで謝罪が欲しいものだ(笑)。
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そして,船津パイセンに連れられて新宿のバス停に向かいますが,そこで一緒になったのが同期のかけるです。バスでは隣の席で一緒に行き,色々話たの覚えてます。その新歓スキーでは,横国の新入生の男子はかけると自分のみで,年齢差もあり気が引けていたが,そこでは気にせずフランクに楽しめたのが,印象的でした。


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かける
スキー部で一番最初に仲良くなった人で,なんなら大学で一番最初に仲良くなった人かもしれません。つまり大学で一番最初の友達です。
4月の初旬から不幸続きの自分にとって,大学生活を楽しく思えるターニングポイントでもあり,君が年上の自分を気にせず受け入れてくれた事により,大学での友達に対して積極的に関わることが出来るようになりました。
また,かけるが先に入部を決めてたから,同期に1人でも男子がいるという安心から,スキー部への入部の決断に踏み込めました。
3年の頃からはかけるの就活が忙しく,スキー部として活動することが減り,徐々にスキー部との距離が出来てしまい,自分もかけるとの接点が減ってしまいました。その為,久しぶりに会うとどう接していいか忘れしまい,素っ気なくなってしまうことがあり申し訳なかったと思っています。また,合宿でもテンションが振り切れてる故に,多分鬱陶しいと感じる時は数多くあったと思いますが,それも今更ながら申し訳ございませんでした。しかしながら,そんな自分を受け入れてありがとうございます。

君には常に感謝してます
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新歓スキーは,船津さん,かける,野口さん,桃,横浜ちゃん(覚えてないけど)のグループで滑ってました。野口さんは手袋のない自分に,自分の手袋を貸して下さり,さらには綺麗でコブをスイスイ滑る姿をカッコいいなと思ってました。

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野口さん
最初はスキーも上手く,後輩にも優しく,カッコイイ先輩と思っていましたが,最近は色々先輩達同期の話を聞くと,一番危険な人のではないかと思います。ただ,会計として,例のスキー部の借金問題を臆せず解決し,全国公の会計なども参加してないのに行う,仕事をしっかりこなす姿は自分が会計として見習う事がありました。
また,日差しが駄目になりスキーが出来なくなってしまっても,スキー部に所属して自分のラストランに応援に来て下さって,本当に有り難かったです。
スキーでは関わる事は無くなってしまいましたが,飲みの席ではいつも楽しませて頂いてます。これからも,ぜひ飲みに行きましょう。
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桃とはここで初対面で,第一印象はスキー上手いと小さいなっていう印象しかなく,なんなら筋トレするまで顔をしっかり認識してなかった気がします

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桃とはいつもコントしかしてないイメージです。しかし,思い出してみると1年の時はそんな事はしてなかった気がします。じゃ,いつからやるようになったか考えると,2年の夏ぐらいかなとなんとなく思います。原因かどうかは分かりませんが,新歓を通して仲を深めらたのではないかと思います。新歓の女子代表として,仕事をしっかりしてこなしてくれて,さらにはビラ作りなどではアドバイスをくれ,大変助けられました。桃がいたから新歓を乗り越えられたし,素敵な後輩達を向かいれられたと思います。本当にありがとう
また桃は見た目はゆるふわなのに,すべき事はしっかり,スキーは真剣に向き合う姿がいつも驚きでした。自分もそのメリハリは見習うべきものを感じます。
最後に,君とはコントする事が多い為,腹を割った話をした事がないので,いつかは出来るといいなと思います
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新歓スキーでは,自分は久しぶりの滑りで四苦八苦したのも覚えてますし,先輩方の滑りの上手さが魅力的に感じてました。
その為,自分もこの部活に所属すれば,先輩方のような上手い滑りが出来るような気がして来てました。また,部活で懸念してた競技に対するギラツキや上下関係感が,ここでは感じられずある意味部活っぽくなかったのを魅力的に感じていたから入部を決めたのだと思います。

忘れてたと思いますが,これが入部理由かな?
(まあ〜,本当はいつの間にか道具を買わされて,後に引けなかったのが大きいですが・・・それでも辞めなかったのは,スキー部の雰囲気故でしょうね)

・補足で部活のギラツキや上下関係感が苦手な理由の回想です
自分は小学2年生の頃から小学6年生終わりまで,地元の剣道場に通ってました。そこは県でもかなり有数の道場で,全国大会に毎年出場するほど強い道場でした。その為,自分も例に洩れず大会では賞や最終的には全国大会に出れるほどになっていました。しかし,そこにはもちろんキツイ練習があるわけですよ。週5で通う道場,めちゃくちゃ辛い練習,当時は練習の辛さから泣く事も数多く,道場に行くのを辞めた事もありました。そうしてるといつの間にか,剣道というものから楽しさが失われて作業でやっている感がありました。その結果,作業から生まれる結果に嬉しさや楽しさも無くなり,目標も無くなり,他人と競う事への意義を感じなくなっていました。その為,中学からは小学生から同時にやっていた水泳部に入りました。ここでは特にパッとした成績は残せなかったが,日々楽しむこととタイムによる自分の成長を感じてました。もちろん,レースによる順位という結果はありましたが,それよりもタイムの変化による個人の成長と努力を実感出来るから好きなのだと気付きました。他人との比較では,無限にいる多くとの比較故に基準は存在しないが,自分自身との比較では基準が存在し,結果が実感しやすいのだと思います。その為,自分は中学以降で行なっていたスポーツに対しては,全てに楽しさを実感出来ることと,他人との比較よりは自分の中の成長に重きを置くようにしてます。
で,これまでのが部活のギラツキが嫌な理由で,上下関係感が嫌な理由ですがこれも原因は道場ですね。
道場に入ったの小2の時,当時はまだ敬語を勉強しておらず,よく分かってませんでした。その中,タメ口で先輩に話し掛けてしまい「敬語を使え」怒られ,また敬語とは何かも説明も貰えませんでした。その故に何のための敬語なのか理解せずに使っていました。そして,道場では上級生とは常に壁を感じ,先輩とは何か触れてはいけないようなものに感じ恐怖すらありました。なので,説明や指導がない上下関係や先輩が後輩に威圧的で壁を生んでる関係を苦手になっていました。まあ〜,これが上下関係感が苦手な理由ですかね


・なんか1年から回想してたので続き
入部直後は,放課後の筋トレをやってました。まあ〜,集まるのは1年と悟さんぐらいでしたけどね〜
しかも,悟さん教育実習で消滅・・・・

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悟さん
悟さんはスキー部の部を体現した人でした。その為,スキーに対する熱意は尊敬出来るもので,またスキーに関して練習や指導をしていただき,大変助けられました。道具集めや道具の整備など,自分たちがアルペンスキーを始めるハードルを下げて頂いたおかげで続けられたのだと思います。しかし,文句があるとすればお金問題ですね(笑)。もうちょと,道具は安かったのではないか疑念は拭えません。まあ,これはブチョー(船津さん)の戦犯でもあると思いますが・・・・・
ただ,悟さんのおかげ部が引き締まってました
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ここで,ふといつの間にかいたのが大智ですね
なんか知らない人がいるな〜と思って,話して見たら新入生で,よく新歓は参加せずに入部してびっくりしました。
よほどテニスサークルが性に合わなかったんでしょうね。今思っても,君にはテニサーは合わなかったと思います。

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大智
まずは謝罪から,留学に行く際に空港にお見送りに行けずに申し訳なかった。南の島が自分を離してくれませんでした。また,合宿では度重なるだる絡み,無茶な振りなど申し訳なかった。ただ,そんな中で笑顔で対応してくれ,本当に神で感謝してます。君は何事に真面目に真剣に向き合っていたと思います。練習はしっかり行い,頼まれた仕事は必ずしっかり行っており,君が始めた常盤祭のたこ焼きは,もうある意味スキー部の伝統になりつつあり,今ではスキー部の大事な活動収入源です。
君は自分にとってある意味安心出来る存在でした。何をしても受け入れて,案外いろいろ振っても乗ってくれる,そんな安心出来る存在。正直そんな懐の広さに驚きと,いつも何処まで懐が広いのか試したくなった結果,ちょっかいを出す事は多かっと思います。自分もそういう人間になりたいと思い,ある意味目標となっている部分があります。これかもそんな暖かい人でいてください。
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次は夏合宿ですかね,ここでやっとスキー部の全貌をつかめたと思います
行った場所,栃木元気あっぷ村
正直,実家からも全然行けましたが,横浜からレンタカーで行きました。車は,野井さん,船津さん,自分,かけるの4人でした。

2人の先輩は安全安心な運転で道中快適で,途中寝てしまっても気にしない先輩の優しさに
心が温まりました。
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野井さん
電情の先輩,バイクサークル始祖,いろいろな事でお世話になった先輩です。正直,自分はこの先輩がいなかったら卒業出来なかったのではないかと思えるほど,学科で唯一の繋がりのある存在でした。履修の相談や,研究室,実験など大変多くのアドバイスを貰いました。ただ文句があるならば,過去問欲しかった。その為,後輩にはしっかり過去問を残すようにしてます。野井さんは怪我をしながらもスキーを続け,しかも実際には競技スキーの練習を重ねていないのに,安定した滑りや上手な滑りが羨ましかったです。バイクではツーリングに連れてもらったり,いつも急に業務スーパー会に誘っても来てくれる優しさに感謝しています。これからも就活や仕事のアドバイスなど,色々お世話になると思いますがよろしくお願いします。
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夏合宿を通して,スキー部の全貌が掴めたと思います。横市,横国の先輩達は皆さん優しく向かいれてくれたの覚えてます。鬼ごっこやバレーボールは楽しかったです。
また,他大でありながら友好的な関係が素晴らしいと思いました。

最終日は皆でプールに行きましたが,この辺りで仲良くなり始めたのが中島先輩と星斗先輩な気がします。

最初は,メガネをかけて,なんか真面目そうな星斗さんでしたが,プールでは中島さんを終始弄って馬鹿やってる姿から,あぁ〜この人はバカなんだぁ〜と思いました。また,そこで弄られていた中島先輩を一緒に弄る事で,中島先輩と仲良くなれた気がします。正直,この辺りから中島先輩には多大な失礼が生まれてきます。
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星斗さん
滅茶苦茶面白い先輩でした。何をするも面白く,スキーの滑りすらも面白いと言う凄さ。ほとんど1年間しか関わりはありませんでしたが,記憶には鮮烈に残っています。スキーでは,トップを浮かせ,テールのみでポールを通る,映像を鮮烈でした。一緒に大会でビデオを撮った際は,うさぎちゃんを壊す衝撃映像を始め,あの時は大変楽しませて頂き,あの経験から自分はスキー部のホームビデオを取るようになりました。ある意味,自分にとって面白さの目標でもありますね。また,いつか会えた時は面白い事を期待してます。
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中島さん
スキー部でトップ3には,入るほどお世話になった人です。多大な迷惑や失礼を暖かく受け入れ,急な誘いにも対応してくれて,先輩の優しさを一番に感じました。いつもお金がなくても奢って頂き,本当に感謝しています。スキーではいつも一緒に滑り練習にも疲れていても付き合ってくれて,2人で色々スキーの滑り方について,リフトで話したのが今でも思い出されます。また,スキーは大学からの初心者にも関わらず,お金もかかり難しいをスキーの練習を続ける姿を尊敬していました。苦手だったりなかなか上手くならないことに挑戦する姿は,カッコイイものがあり,自分がなかなか新しい事に挑戦出来ないこともあり,そういう直向きな姿勢は見習うべきものがあり,目標とするものでした。いつもは悪ふざけで感謝や尊敬を示す事はありませんが,スキー部で一番尊敬していた先輩でしたし,先輩としてのあり方の参考にもさせて頂きました。後輩から親しみのしやすい先輩として,ありがとうございました。
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この後は,4年間の常盤祭で唯一たこ焼き以外をやった。綿あめですかね。この常盤祭では初の学祭ということもあり,張り切りましたが赤字でしたね。それでも楽しかったのを覚えてます。その辺りで,桜子さんと仲良くなった気がします。学祭前の野井さんの家でやった,準備の飲み会は初のスキー部宅飲みという事もあり,趣きがあります。あれが自分の中での,スキー部宅飲みの原点ですかね。

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桜子さん
スキー部の姉さん的存在でした。先輩達の代では,「桜子さんがいたから今,同期が仲良いんだ」と良く聞きますが,本当にその通りだと思います。桜子さんがいたから,スキー部の先輩間が仲良くなれたと思います。飲み会など積極的に開き,誘って頂いた結果先輩達との親交を深めることができました。また,あの代で初めて女子が入部してくださった結果,今の同期の女子や後輩達が続いて入部する事が出来ました。本当にありがとうございました。
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この後は,プレ合宿ですかね。ここでいつの間にか居たもりち登場。
プレ合宿はなぜか一年なのに運転させられたのと,あの頃から始まった中島,山田ペアの車が印象的です。
プレ合宿は先輩達のスキー技術力の高さを認識させらたと共に,自分もいつかはあんな風に滑れるか心配にもなりました。この時にもりちが来ましたが,あまり接点はなかった気がします。ビラにも使ったが,自分以外の一年で撮った写真は,仲間外れ感が半端なかった。
あれは悲しかった‥‥‥‥

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もりち
正直,最初はあまり好きにはなれませんでした。酒飲みで騒いでるイメージである意味,近寄り難いイメージでした。しかし,スキーは真剣かつ最後まで練習を行なっており,直向きな姿勢は凄いと思ってました。また怪我しても尚,スキーを続ける姿はカッコイイなと思ってました。また,もりちがいたお陰で同期の中も深まりました。もりちが積極的に飲み会だったり,旅行とかを計画をしてくれたお陰で楽しませて貰いました。USJは本当に楽しかったです。なんだかんだ,弄ったり馬鹿にしてましたが,もりちの性格が真面目故に真摯に受け止めてしまい,傷つける事もあり申し訳ないとも思います。プロフィールすみませんでした。今では,もりちがスキー部同期にいて本当に良かったと思ってます。ありがとう。また,何か計画してくれるとありがたいです。
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その後は,年末合宿
初のスキー合宿で緊張したのを覚えてます。一年で参加したの自分だけでしたからね。ここでの思い出は,船津さんがスキーケースのない自分の代わりに運んでくれた事ですかね。スキー3本,大変重そうだったが気にせず運ぶ先輩の姿は,大変偉大でした。
そして,初のコーチのもとでの練習。市村さんによる練習,今は違うコーチですが,あれはあれでイイ経験でした。いつも夜やる,ビデオミーティングでは,自分の滑りの下手さに恥ずかしくさを感じてましたが,その中でも真剣にアドバイスをくれる先輩達には,部活の真剣さ,暖かさを感じるものでした。ここらへんで接点があったのが,コッシーさん,圓札さんですかね。
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小清水さん
小清水さんはマスコット的立ち位置で,いつもゆるふわで大変癒されました。ゆるふわでありながら,スキーでは綺麗な滑りをしており,普段とのギャップに驚かされる事がありました。また,飲み会ではお酒を飲んで酔った時の元気なコッシーさんも好きでした。ゆるふわで可愛らしく,後輩としてはこういう雰囲気の先輩だと接しやすいのだと感じてました。何だかんだ,スキー部の活動に多く参加してくれて,いつも有り難かったです。ぜひぜひ,これからも変わらないゆるふわなコッシーさんでいてください。
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圓札さん
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オフシーズンの筋トレでは大変お世話になりました。当時は全然面倒で嫌がってましたが,今考えると筋トレは大切だと思い知りました。スキーを始め,オンシーズン以外の体づくりは,怪我しないためにも必要でした。また,普段の生活にも適度な筋トレは健康面でも必要です。そのため今では軽い筋トレを継続出来ており,大変感謝しています
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年を越し,なんか入部してた,たかあき

初めて顔を合わしたのは,自分の家で同期会で開催したタコパですかね。もりちもそうですが,たかあきとはここで親交を持ちました
ここでのたかあきへの所感は,なんかスタイリッシュかな
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たかあき
なんだかんだスキー部で一番関わりが多かった気がします。合宿然り,部屋でも一緒になる事が多かった。いつも荷物が多いと小言を言いながらも,たかあきの荷物に助けられる事は数しれませんでした。大変助かりました。同期男子では唯一の経験者であり,レースでは色々アドバイスをもらい助かりました。部長を始め,全国公長の仕事など,多くの大役をこなしてくれて,大変ありがたかったですし,君がいなければ乗り越えらませんでした。先輩としてもレースの部分ではポイントを取る事で先輩の威厳を示し,後輩にも大胆に奢るなど先輩然とする姿は,自分にはない所を多く持ち,素敵だなと思っていました。スキーの技術面でも,自分は全然劣ってはいたが同期としてはライバルとして見てました。2年の時の岩岳のGSで勝てたの唯一の誇りではあります。それでも全てにおいて部活然とした姿は素敵でした。
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この後は,冬の合宿,大会など色々あるんですが,1年の後半で1万字なので,ペースアップしたいと思います。

大会での記憶は色々あるのですが,一番はSGもしくはGSどっちかで,ゴール横をコケながら滑って行きDFになった事ですかね。あれは僕史上一番の滑りでした(ある意味)
1年の頃の大会はただただレースをこなすだけで,正直初めてでもあり戸惑いや驚きに満ち溢れてたように思えます。
それでも競技の楽しさを実感したのは確かではあります。





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三田さん
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陽介
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田後っち
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三村
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透子ちゃん
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栗田
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金城
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大塚
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大口
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塩倉
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西尾
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